一昨日(6月28日)、ブラジルへの出張から帰ってきて、少し時差ボケが残っています。なにしろ地球の裏側の国。浜松からバスで成田へ、そしてニューヨーク経由でリオ・デ・ジャネイロへ着。出発してから40時間が経過している。
今年2008年は、日本からブラジルへの移民が始まって百周年。日本、ブラジル両国を挙げてさまざまなイベントが行われています。浜松はブラジル人が約2万人住む、国内最大のコミュニティを形成している。
4年前、当時、市の国際課長をしていた私は市長の命を受けて渡伯。ミッションは二つ、浜松へのブラジル領事館の誘致に向けた要望、そして市立高校へ国際クラスを開設するためリオ州立大学へ教師の派遣をお願いすること。このクラスは昨年の4月からスタートしています。
リオ大学との橋渡しをしてくれたのが、ブラジル人子弟の調査で浜松へも何回か来ていただいている同大で日本語を担当する北原教授。この方が百周年記念委員会のメンバーでもあったため、浜松の凧のことを知っていた次第。青森の「ねぶた」にも声をかけているとのことでした。その4年前の約束が実現したのです。内容についてはマスコミが同行取材し、約1週間、その記事が連日連載されましたのでご覧ください(朝日、中日、静岡新聞各紙)。
リオのコパカバーナ海岸は南米でも有数の高級リゾート地。実行委員会の席で、雨対策が話題になりました。私は「ブラジルの6月は冬、つまり乾期で雨はまず降りません」とその都度発言してきました。しかしリオでの滞在4日間は毎日雨でした。ところが凧揚げ本番の24日の午前中は曇り空。しかも心配された風も少しある。皇太子殿下にも車中からご覧いただいたのです。
さて、このブログを2年間書いてきました。少々ネタ切れにもなってきたこと、ブラジルへの長旅の疲れも出て、しばし休筆とさせていただきます。ブラジル領事館の誘致が正式に決まったら、その話題で再開しましょう。ご愛読ありがとうございました。