「金原明善の一生」(三戸岡道夫著、栄光出版社)を読みました。いうまでもなく「治山治水」を説き、一生涯そして全財産を「暴れ天竜」に捧げた人。そして、現在の浜松の発展は明善翁なくして語れないことがわかります。本の帯には「日本中に心の木を植えた、植林の二宮金次郎」と記されている。
明善翁は長上郡安間村(現在の浜松市安間町)に天保三年(1832年)、大地主の長男として生を受ける。実業家としてもその手腕を発揮するが、私利私欲のない人であった。エピソードとして、千円の公債数枚(当時の金額としてかなりのものであろう)に火をつけて燃やしてしまったという。その奇行に驚いて尋ねると「それだけ国の借金が減るではないか」と答えたという。なんと、ナント!!
浜松は工業都市であるとともに農業都市でもあります。母なる天竜川の豊富な水は、三方原用水として供給され、農業生産額は国内でも有数の地位にある。また、夏の水不足が各地から伝えられても、浜松はどこ吹く風といった体。ありがたや、これも明善翁の功績に他ならない。
天竜川沿いの山々を百年の大計により植樹したことは良質な木材を提供し、これはピアノなどの楽器づくりにもつながる。さらに、製鋸産業や木工機械産業が隆盛したこともおおいに関係がある。
明善が治山治水だけでなく、社会奉仕として出獄人の保護事業にも熱心に取り組んだりしている。「報徳思想」を国内外に広めた二宮金次郎の生まれ変わりともいわれる所以です。蛇足ながら二宮金次郎は、小学校の校庭に薪を背負い、本を読んでいる像がありましたよね。
浜松にお越しになった際には、ぜひ一度、明善記念館(浜松市東区安間町35、電話053-421-0550、入館は無料)をお訪ねください。