当ビューローが設立されたのが平成元年の6月のこと。今年20周年を迎える、人間でいったら成人式といったところでしょうか。その記念誌の編集で昨年から少しずつ準備を進めてきました。
世相なども盛り込んでいますので、あらためて20年という歳月はいろいろなことがあったなという印象を強くもちます。
まず、事務所は旧の浜松商工会議所内にあった。小生は、市から浜松国際交流協会に派遣され、同じフロアに事務所を構えていたので当時のこともよくわかる。90年に浜松駅前にフォルテが竣工し事務所が移転し、これもビューローと同じ室内に同居していました。
ハード面での整備もいろいろ進みましたね。94年に「アクトシティ」が竣工、96年にフルーツパーク竣工、00年はザザシティ(西館)がオープン、同じく浜松文化芸術大学の開学などいわゆる「箱物」が完成。これに関連し、ソフト面でも世界青少年音楽祭、浜松国際ピアノコンクール、世界吹奏楽大会、浜名湖開湖五百年祭、もてなしのまち・浜松推進運動、冬の蛍フェスタ、「く・る・る」の運行、New わかふじ国体、浜名湖花博と大規模イベントがありましたっけ。
04年の花博のときに新幹線の「ひかり」が浜松駅に10本増停車し、この3月のダイヤ改正でさらに8本増えた。つまり1時間にほぼ1本ひかりが停車するということになり、東京などの出張の際は「こだま」だと随分遠く・長く感じられる。
それと20年前の駅周辺の写真と現在を比べると、「何という変わりようか」と驚かされます。もうひとつは、90年の入管法(出入国管理及び難民認定法)改正により、外国人、特にブラジル人が全国で一番多いということでしょうか。かくいう筆者のことについていえば、20年前は36歳という若さでした。仕事はばりばりやったつもりですが、生意気な若造だったんでしょうね…。