浜松はいわずとしれた楽器のまち、音楽のまち。ヤマハ、カワイ、ローランドのブランドのほか中小の楽器メーカーが約20もあります。戦後の一時期、国鉄(現在のJR)浜松駅では駅弁売りだけではなく、ハーモニカ娘がいたと記録されています。
この稿は、もし…だったらというお話。浜松市役所に隣接する元城小学校、市内でももっとも歴史の古い学校です。ここのアメリカ製のオルガンが壊れて学校では困っていた。そのとき、山葉寅楠という和歌山出身の技師が仕事で浜松の宿に逗留していた。頼まれて寅楠は初めてオルガンというものと対面する。1887年(明治20年)のことです。手先が器用な彼のこと、いとも簡単に修理したということ。
当事、オルガンは輸入品で大変高価なものでした。国産品のオルガンを作ろう。寅楠は、飾り職人の河合喜三郎(後に河合楽器を創立)と共に、模写をもとにオルガンの製作に取りかかりました。そして国産第1号のオルガンがついに完成。当時はまだ鉄道もなく、寅楠と喜三郎が天秤棒でオルガンをかつぎ、東京までの250キロの道のりを運んだというから驚き。
東京の音楽大学(現在の東京芸術大学)で聴講生として調律を学ぶことを許され、こうして国産のオルガンが誕生したのです。もし、元城小のオルガンが壊れていなかったら、浜松に楽器産業はなかったかもしれない。そして、今度は必然性という面では、天竜川を利用し良質な木材が供給され、日照時間が年間を通じて長いという有利な条件もあったのです。
浜松国際ピアノコンクールが3年に一度開催され、世界的ピアニストを排出しています。第6回を迎えるこのコンクール、今年の11月12日から27日、アクトシティ浜松を会場に国内外からピアニストが集まり熱い戦いを繰り広げる。
約120年前の国産オルガン第1号の誕生、そこから浜松の音楽文化が継承されているのです。