今年のふれあい講演会(10月20日開催)には、前駒沢大学野球部監督の太田 誠さんを講師としてお招きしました。本年度、新たに浜松市の「やらまいか大使」に任命された方です。
氏は浜松の出身で、浜松西高、駒沢大学と野球に打ち込む。東都大学リーグでは、首位打者に2度君臨したスラッガー。そして、ノンプロの電電東京(現在のNTT東日本)でプレー。
71年春(小生が大学2年の時のこと)、駒沢大学の野球部監督に35歳という若さで就任。35年間指揮を執り、05年秋期リーグ終了後の勇退の間、501勝という金字塔を打ち立てた。これは同じアマ球界の大御所・明治大学の島岡監督(故人)をも上回るものです。
プロ野球に進んだ教え子たちによるドリームチームを考えてみました。投手・高橋(巨人)、捕手・大矢(ヤクルト)、一塁・中畑(巨人)、二塁・高木(西武)、三塁・石毛(西武)、遊撃・野村(広島)、左翼・二宮(巨人)、中堅・関川(阪神)、右翼・新井(広島)、すごいメンバーです。太田監督に、「これでどうでしょうか」と渡したところ、「プロには行かなかったけれど、もっといい選手もいたから」と答えたのみでした。残念。
「球心いまだ掴めず」と題した本を日刊スポーツ出版社から上梓しておりますので、ぜひお読みいただきたい。この本の帯には「そうだったのか…。監督の生きざまを改めて知った!」教え子中畑清氏も涙、震えた!とありつい手が伸びてしまいそうな感じです。
監督時代につけていた背番号が50番なので、講演当日、スタッフ・ジャンパーに50を貼り付ける私流の試みをした。「この演出、お、いいね」と監督。監督からちょうだいしたサインバットを事務所に飾ってありますので、お立ち寄りの際にご覧ください。
蛇足ながら、小生は中学時代に野球部に所属し三塁手として活躍。野球の名門校・浜松商業からスカウトに来るに違いないと信じていた時期があります。スカウトされたのはエースのT君だけでした。甲子園の夢も、その時点で終わったのです。